Saturday, May 26, 2012

引用|台湾人の悲哀と金 ~邱 永漢『邱永漢 短篇小説傑作選』 小説「香港」より

なるほど世間の風は冷たい。だが、その風で頭を冷やさなければ、人間は生きることの意味を忘れてしまう。牢獄は一時逃れのためにはいいかもしれないが、人間が本当に生きたいと思うときに、それができなくなってしまう。(P368)
邱永漢氏は、山師的な魅力を含んだお金儲け本を出す実業家として有名である。一方で、日本統治時代の台湾に生まれ、旧制高校から東京帝大へ進んだ台湾のエリート知識人で作家でもある。小説「香港」は氏の直木賞受賞作であった。

中国国民党に追われ台湾から脱出した主人公の頼春木は、香港の貧民窟に住む李明徴の部屋に逃避する。食べるにもこと欠く貧困の中、李は人を陥れてでも金儲けを企み、友人の大鵬は仲間の引き立てや馬券が当たることを待ちながら生活するに足らない賃金で肉体労働を続ける。春木は貧困からの脱出を考えながら、他人を陥れて金儲けすることにも、他力を当てにして単純労働で生きることもできず悩む。

作中、李は金の力に希望を見いだし、大鵬は労働の美徳に拠り所を持った。しかし、春木はそのいずれにも空疎さを感じて、儲け仕事の仲間を裏切り逮捕される。その時、李明徴が発した言葉を読めば、彼もまた狡賢い人間と言うより、崩壊した社会の中で、価値の拠り所をどこに置くか迷い続けた人間であることが分かる。この「価値の拠り所」が本作品に通底するテーマだが、しかしそれは終局に至っても見つからないのである。

年配の台湾人が支配の象徴でもあり故国でもあった日本に、愛憎入り組んだ複雑な感情を抱いているのは、様々な文献で知ることができる。春木の逃避先では、あれほど台湾人に教え込まれた「日本人」としての美徳や価値観はなんの役にも立たなかった。しかし、そこに台湾人は迷うのである。邱永漢氏の向かい合った文学もその足跡も、そんな台湾人の複雑性を体現したものであると思う。
君、悲哀は人間性のもっともっと深いところに根ざしていて、社会制度をいくら改善したところで、解決できないものだからな(P378)
 参考リンク: amazon:邱永漢 「短篇小説傑作選―見えない国境線』新潮社(絶版)

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