Tuesday, August 28, 2012
日々|PSY - 江南スタイル Gangnam Style
■ いまさら、まさかの韓流。
その昔、李博士(イ・パクサ)という人が一瞬ブームになった。ポンチャックという不思議な二拍子の音楽に、どの曲にも時折はいるプルゥゥヒャァァァという雄叫びに痺れたことがある。どこかのWebページに、カシオトーン一つあればどこでもポンチャックできるチープさが魅力と解説されており、ますます痺れた。ドラムもプリセットのものでOKなので安価である。さらに、コックローチのCMにも出ていたことをYoutubeで後から知った。
そんな李博士を思い起こさせてくれたのが、韓国のラッパーPSYのGangnam Style。ここ数日、頭が離れない。ポンチャックの不思議な流れを組んだおもしろ音楽と勝手に認定。
Sunday, August 26, 2012
引用|本業の意味~藤沢武夫 『経営に終わりはない』
| 藤沢武夫 『経営に終わりはない』 |
ところが、ある特定の一人、二人が為替をいじって、五千万とか一億円儲けたとします。すると、営々と働いて三千万円の利益しか上げられない多くの人たちは、為替の大もうけに決していい感じは持たないだろうと思います。
物をつくる会社に働いている物をつくる人たちは、自分たちの働きが、あるひとつの知恵による稼ぎよりも劣ったものでしかないと思ったときに、寂しさを感じて、情熱を失ってしまうだろうと思う。ホンダは物をつくる会社なのです。
ですから、どんな儲かる話があっても、その話には乗らない。儲けるならみんなの働きで儲けるんだということを、ホンダの金科玉条にした。
(藤沢武夫 『経営に終わりはない』 1998 文芸春秋社 初出典 1986 ネスコ刊)
ホンダは本田宗一郎氏が開発を、藤沢武夫氏が経営を担当していた。ソニーも井深大氏が開発を、盛田昭夫氏が経営を担当し、双方共に経営の好事例として種々取り上げられている。しかし、この二つの会社の行く末には違いが生じている。
ソニーグループの利益の多くは、物作りではなく金融子会社が稼いでいる。また、映画や音楽などのソフト領域まで事業が広がり、コングロマリット化している。
ここ数年、Sony United やOne Sonyと叫ばれ、各事業間で相乗効果を上げようと躍起になっているが、音楽配信はAppleを無視しては事業にならないし、映像コンテンツもソニーの配信網だけでは儲けられない。また、保険や銀行とソニー製品の関係は遠く、経営戦略に組み込むには無理があるように見える。
一方で、ホンダは二輪・四輪を中心とした移動手段の開発・生産・販売と領域が今も明確な上、技術的な夢を追いかけるという社是を実現している。藤沢武夫氏が考え抜いた組織は機能しつづけている。
藤沢氏は、人々の力を結集させる軸こそが事業の永続に必要だと言っている。ソニーのコングロマリット化が悪いわけではないが、力を結集するには領域が広すぎるのかもしれない。
参考リンク:藤沢武夫 『経営に終わりはない』 1998 文春文庫
Thursday, August 23, 2012
日々|ビグ・ザム
| 長野の立派なモビルアーマー |
善光寺の近くで挙行された友人の結婚式が素晴らしく、お嫁様が良ければ歪んだ魂も浄化されるのだなと妙な納得をしてみる。きれいなジャイアンと一人つぶやく。
ところで、善光寺はビグ・ザムに似ている。
↑これが言いたかっただけです。
■ 夏休み
仕事の都合で夏休みが細切れになり、どこかに行くわけでもなく本を読む。別に、本を読むから賢くなるわけではないことは様々なところで自ら証明している。
■ 日本周辺の島と人
同僚が韓国の人で、面倒くさい目にあっていないか注意を払っている。当人の主張は関係ない。意見が違うからと言って面倒事を作り出していてはキリがない。
近代国家が排他的領土の保持を必要とする以上、弱肉強食の国際社会で主張を簡単に引っ込めれば利害得失の渦に巻き込まれる。その領土は、その社会集団が持つ物理的力と政治的力の総和によって排他性が保たれる。
21世紀になっても、欧米がルールブックの19世紀的事実から逃れられる訳ではない。この100年、国境線はめまぐるしく変わっている。忘れかけていた力のポリティクスを、きちんと受け止めるしかない。
一方で、ナショナリズムは火をつければ勝手に盛り上がってしまう歴史的事実にも目を向けなければらない。原理的に大メディアは大衆迎合しなければ生きていけないし、民主政治も同様の側面があるからだ。
頼むべくは、自らの眼だけということである。なんとも心細いものである。
Wednesday, August 22, 2012
書評|冨山和彦・経営共創基盤 『IGPI流 経営分析のリアル・ノウハウ』 PHP 2012
| 冨山和彦・経営共創基盤 『IGPI流 経営分析のリアル・ノウハウ』 |
著者は「当事者意識を持たずにいくら決算書を眺めても、付け焼き刃の知識しか身に付かない。経営の修羅場、ガチンコ勝負に飛び込め。」と述べている。例えば、営業利益が赤字でも、先行投資中であれば問題ないかもしれないし、相場に大きく影響される事業構造なら、経営計画通りに事を進めるより、あえて何もしないことが必要な局面がある。そのため、数字や計画が適切かどうか判断するためには、企業が置かれている状況を肌身で理解しなければならない。
冨山氏の分析ツールはMBA的な内容であり、テクニカルな話としては目新しくないかもしれない。しかし、財務だけでなく儲けの仕組みを含めた、「経営的実像は何か」という問いから導かれる洞察は、日々の事業に携わる人間にとって、会計的How to本を超える視座を提供してくれるだろう。
評価:★★☆ (★★★:とても良い ★★☆:良い ★☆☆:普通 ☆☆☆:好きな人向け)
寸評:経営者的視点とコンサルタント的視点の間を行く妙味。熱い思いが伝わってきます。
参考リンク:冨山和彦・経営共創基盤 『IGPI流 経営分析のリアル・ノウハウ』 PHP 2012
Thursday, August 16, 2012
引用|呪詛~鷲田清一・内田樹 『大人のいない国-成熟社会の未熟なあなた』より
| 鷲田清一・内田樹 『大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた』 |
「不当な利益を占有している」他者が、その不当に占有しているもの(健康、家族、財力、権勢、名誉、才能などなど)を失うことを強く念じること、それが「呪」である。「呪」は呪詛するもの自身には直接的利益をもたらさない。けれども、他者が何かを失い、傷つき、穢されることは彼らの「間接的利益」に計上される。呪いに関する内田氏のお話は、言葉の力を知る上でも重要である。
ネット上の貶下的言説は本質的に「呪」である。「どうして彼らは自分の書いたものの責任を取ろうとしないのか」という最初の問いの答えはそれから導かれる。
それは「呪」は、呪いの発信源が知られると、その効力を失うからである。
「呪い」は「批判」ではない。その二つは別ものである。
「批判」は発信者の身体を差し出さない限り機能しないが、「呪い」は発信者の身体を隠蔽することでより効率的に機能する。
(鷲田清一・内田樹 『大人のいない国』 プレジデント社 2008 p74)
言葉を匿名かつネガティブに使えば呪詛となると内田氏は指摘する。呪詛は人の意欲を殺いだり、苛立たせたり、不安に陥れる。だからこそ、人と仕事をする上で重要なのは、意識してポジティブな言葉を吐けるかである。
誰にも言えない暗い部分があったとしても、表は明るくなくてはならない。アナリスト、メディア、時には社員からも呪詛を投げかけられる経営の世界はなおさらだ。宅急便を展開した小倉昌男氏がネクラな性格をネアカになるよう努力したのも、ホンダの創業者である本田宗一郎や藤沢武夫が社内の明るさをいかに保つかに腐心したのも、この呪詛を克服するためである。
良質な経営者は、変化の途上でわき起こる呪詛を乗り越える明るさと確信(内田氏の書では「祝福」にあたる)で乗り越えていく。
参考リンク:
鷲田清一・内田樹 『大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた』 プレジデント社 2008
寸評: 日経のグリーや任天堂の業績報道を読んでいると時たま悪意すら感じられるのだが・・・。
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