| 井上理津子 『最後の色街 飛田』 |
何より驚いたのは、ミミズが這うような文字で「娼婦のつくりし哀歌」と題した歌が綴られた巻き紙を見つけた時だった。しかも、誤字だらけのひらかなのものと、清書であろう漢字まじりのものと、両方。無然は難波病院で、娼妓たちに文字を教え、思いを綴ることを教えていたのだ。(P109)篠原無然(1889~1924) は社会事業家として飛騨地方の社会教育にその名前を残している。亡くなる直前、大阪府保健課の嘱託となり難波病院の「入院娼婦監督」となる。井上氏は今で言うカウンセラーの役目を果たしていたのではないかと書いている。
教育なきところに教育を届ける人がいたことは、セツルメント活動を見ても明らかである。もちろん、イデオロギー的背景もあったに違いないが、明らかにそれは貧困から生まれた問題であった。そのように考えれば、医療も教育も福祉もそれなりに行き届いた今の社会は綻びが見られても随分良くなっている。
さて、調べていくうちに高山出身の作家 江夏美好氏が『雪の碑』という作品で無然を書いていることが分かった。井上氏が無然の情報を探しに行った記念館も氏の尽力があったらしい。絶版だが入手することができたので読んでみることにする。
こうした出会いも本読みの楽しみである。
参考リンク: amazon:井上理津子 『最後の色街 飛田』
No comments:
Post a Comment