| 鷲田清一・内田樹 『大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた』 |
「不当な利益を占有している」他者が、その不当に占有しているもの(健康、家族、財力、権勢、名誉、才能などなど)を失うことを強く念じること、それが「呪」である。「呪」は呪詛するもの自身には直接的利益をもたらさない。けれども、他者が何かを失い、傷つき、穢されることは彼らの「間接的利益」に計上される。呪いに関する内田氏のお話は、言葉の力を知る上でも重要である。
ネット上の貶下的言説は本質的に「呪」である。「どうして彼らは自分の書いたものの責任を取ろうとしないのか」という最初の問いの答えはそれから導かれる。
それは「呪」は、呪いの発信源が知られると、その効力を失うからである。
「呪い」は「批判」ではない。その二つは別ものである。
「批判」は発信者の身体を差し出さない限り機能しないが、「呪い」は発信者の身体を隠蔽することでより効率的に機能する。
(鷲田清一・内田樹 『大人のいない国』 プレジデント社 2008 p74)
言葉を匿名かつネガティブに使えば呪詛となると内田氏は指摘する。呪詛は人の意欲を殺いだり、苛立たせたり、不安に陥れる。だからこそ、人と仕事をする上で重要なのは、意識してポジティブな言葉を吐けるかである。
誰にも言えない暗い部分があったとしても、表は明るくなくてはならない。アナリスト、メディア、時には社員からも呪詛を投げかけられる経営の世界はなおさらだ。宅急便を展開した小倉昌男氏がネクラな性格をネアカになるよう努力したのも、ホンダの創業者である本田宗一郎や藤沢武夫が社内の明るさをいかに保つかに腐心したのも、この呪詛を克服するためである。
良質な経営者は、変化の途上でわき起こる呪詛を乗り越える明るさと確信(内田氏の書では「祝福」にあたる)で乗り越えていく。
参考リンク:
鷲田清一・内田樹 『大人のいない国―成熟社会の未熟なあなた』 プレジデント社 2008
寸評: 日経のグリーや任天堂の業績報道を読んでいると時たま悪意すら感じられるのだが・・・。
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