Saturday, August 13, 2011

取りきれないリスクもある

 事故以外の原発単体のリスクを簡単に考えても、高濃度放射性廃棄物は十万年隔離できる場所に廃棄し、低レベル放射性廃棄物も300年は管理しなければならないなど、ベラボウである。300年前は忠臣蔵の世界であり、アメリカ合衆国はまだない。十万年に至っては、想像の域を超えている。原発をまともなリスク評価の俎上に乗せたら、一企業は元より、一国であっても責任の取りようがない。

 しかし、原発推進を決めた当初は、このリスクの解決も含めてなんらかの合理的な絵があったはずである。当初の計画であれば、とっくの昔に高速増殖炉は整備されて核燃料サイクルは整い廃棄物リスクは軽減されていたはずだし、より安全な(だとされた)核融合炉やトリウム溶融塩炉などが開発されて稼働しているはずだったのではなかったか。そう思うと、科学をイデオロギーに近い形で信奉できた戦後の一時期を思いを馳せてしまう。

 そんな計画も、途中で実質的に破綻したにもかかわらず、撤退プランもないまま希望的観測で事業を行ううちに「進む」以外に選択肢はないと錯覚してしまった。そのなれの果てがこの事態だと思えば、先の大戦における軍部の意思決定と似たような構図であり、第三の敗戦と言われても仕方が無い。ぐずぐずしているうちに政治家、行政、産業界、科学者の間で誰も責任を取れなくなってしまった。

 そう思うと技術の良し悪しでなく、根源的にはマネジメントの問題に行き着くのではないかと思わざるを得ない。

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